日々徒然?になる予定
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・ドスこれネタ
・創作ドスだんしです☆
・こんなドスは実在いたしません
・葬神シリーズには一応登場してます
・今回はそいつの写し設定
・いつも通り、俺得設定&捏造設定のオンパレード
・ご都合主義だっていつものことだぜ!
おk?
・創作ドスだんしです☆
・こんなドスは実在いたしません
・葬神シリーズには一応登場してます
・今回はそいつの写し設定
・いつも通り、俺得設定&捏造設定のオンパレード
・ご都合主義だっていつものことだぜ!
おk?
『蒼鋠(そうしん/あおくろがね)』
正確には葬神主の葬神(魂の欠片を加工して作られた神具)をモデルにして作られた写し
鋠はハマグリというか二枚貝とか、ノコギリ、鉄を表す
刃が極々細かい鋸の歯になってる
長さは太刀よりの打刀
実装は歴史改変主義者との交戦からおよそ五十年ぐらい経ってから
刀剣男士としての成立と安定に掛かって実装が遅くなった
実装されたのは安定腐敗期の中頃
ブラック本丸が大量発生している
〜経歴〜
塚原卜伝(つかはらぼくでん)が若かりし頃、
狭間に迷い込んで、葬神主に挑む→負けるも、果敢に挑んで褒美として、蒼鋠を受け取る
↓
色々な人の手を渡るも、成り立ちが特殊なんで付喪神人格は形成されていなかった
↓
2205年よりも数十年前で歴史修正主義者と対抗する為に、付喪神に協力を仰いだ天才陰陽師が葬神主に接触し、対価を支払って特殊な付喪神を創り上げた
塚原卜伝は文献にあるだけで、212人の首を刎ねた、最強と言われている一人
時代は戦国時代あたり
お茶目な性格で、戦わずして勝つ!とか言っちゃった
〜特殊項目〜
第一形態 藍色主の姿、術師タイプのある普通の刀剣男士
第二形態 藍色主と葬神主の中間の色合い
第三形態 葬神主の姿
神堕ち(祟り神)化時 黒髪/赤目
審神者歴三年以上より鍛刀で出せるレアリティは3から5
ただし、危機的状況であるなら、呼びかけにも応えてくれる
審神者から顕現されて最短で一ヶ月後に『神問いの儀』が行う事が可能
大抵は審神者歴5年目以上(つまりは、兵役義務を終了させて辞めちゃう奴が5年未満)になってから
蒼鋠から言い出したら
審神者の選択は3つ
1儀を受けない 2心根問い 3覚悟問い
2は普通のホワイト運営している審神者なら合格できるし、近侍を一人連れて行ける
蒼鋠が貴方に仕えるよ、守るよって誓う
3は先鋭とか一部の人のみ可能で、審神者だけで受けなければならない
逆に、審神者自身が蒼鋠に、戦争で勝つ!、終わらせてやろう!って誓う
一回しかチャンスはない
失敗したら第一形態
成功は神問いプラス霊力質を加味されて変わる
効果自体は3>2
レアリティの違いは、そのまま蒼鋠の特殊能力の違いになる
共通:スロット+1、結界強化、蒼鋠特殊ネットワーク、知識経験の共有、縁を引く力、主として好いている場合にのみ一回だけ身代わりができる
レア4以上:異能・技能・魔術などが特化強化される、主への加護
レア5のみ:主の不老長命、葬神主の狭間へのアクセス権
例えば、霊媒体質の主ならば、除霊能力を強化させたりできる
主自身の霊力が治癒よりだと、治癒術を覚えるなどなど
〜人格〜
基本的な人格モデルは藍色主だが、物事の判断基準などは礎となった術師のもの
礼儀正しいし、教養も豊かで、子供にもやさしい
コミュ力も普通にあるし、丁寧でもあるんで、審神者的には楽な部類
思考は主ガチ勢よりの考え方をしている
つまりは『人間』を基本的に優先してくれるし、他刀剣男士よりも心の機微を理解する
主の為にあり、主の為に死ぬ
特殊異能発現しているコテハン持ちのレア4やレア5以外は引き継がれることは基本的にない
よき友人とか仲間としての心遣いや配慮を望むのならば、レア3のままにしておく方がお互いのため
しかしながら、良き現状であるならば、それを邪魔する者(悪質な担当官とか、乗っ取り目的の見習いとか、神隠し希望の刀剣男士とか)には容赦しない残酷な一面もある
レア4以上だと、礎の術師の『歴修を滅ぼす』という思考に寄る
人間味が薄れて、神による存在になる
感情の起伏が緩やか
能力は最低でも、レア3時より1.5倍以上強化される
レア4はまだ、刀剣男士の範囲内に納まるが、
レア5は『神』としての側面が強く出ており、実質『従ってあげている』状態と言える
ブラック本丸においても、過剰出陣だったら多少運営方法に文句なりいうけど、従ってくれる
ただし、己の欲望の為に刀剣男士を使役するのならば、いの一番に牙を向く
霊力量が多いならば、霊力タンクとして魂が消滅するまで利用するし、
逆に少ないなら、ブラック本丸の穢れを背負わす人形にする
のっとり見習いなら、脳弄くって良い子に……
〜他〜
・本丸内の友好関係
基本的に刀で会った時の知人はいない
友好関係は基本的に本丸で構築している
本丸ごとによって友人関係はちがうが、レア3だったら概ね上手く付き合っている
大抵の本丸で仲が良くなっているのが、写し仲間の山姥切とか、復讐言っている小夜に構っている
子供の姿をしている短刀には甘め
レア4〜5個体は(マイルド表現して)個性が強いので、主か、コミュ力ある系もしくは細かい事は気にしないタイプだったら上手く付き合える
・蒼鋠特殊ネットワーク
脳内ネットワークという奴
ここで、情報のやり取りや知識や経験のやり取りを行っている
バックアップとサーバーが本霊だが、レア5もサーバーの役割を負っている
ここのおかげで、内番とかなくても肉体の齟齬がほぼない
・レア5
呪:一番最初に顕現し、ブラック撲滅運動やら、政府へのストッパーにまでなった
祟り神として存在が確立している
人間を厭い、利用し、同胞の刀剣男士を大切に思っている
喰:主が乗っ取りに合って力不足と感じ、同じ刀剣男士を喰らう様になった
神隠し対策やらブラック本丸引き継ぎなんかで尽力している
主を狂愛し、主を最優先にしている、限定的な人間愛者
理:神秘特化型で、術の開発や葬神主の知識を使うことも可能
魔術チートという奴
神秘系の術の開発、発展が主
識:ハイブリット型で、魔術も武術も上手い、異能として予知能力を持っている
術師の理想を体現のために布石を打っている
知識蒐集を目的としている
武:完全武術特化型の脳筋タイプ
徒手空拳から短刀や薙刀まで使いこなせる
武術的技術を磨く事を目的にしている
・保護レア4(能力が特殊な為に引き続き顕現が必要なもの)
繰手:良縁を繋ぐ程度の能力
切手:悪縁を切る程度の能力
学者:研究特化でマッドサイエンティスト
空間:異界を創ったり、空間を繋いだりする程度の能力
・堕ちた個体
必要な時、主殺しや同胞殺し、他人間を殺した個体
特に新実装から数年はほぼ全ての個体が堕ちた
〜書きたいネタ〜
・実装間際の328ちゃんねる
・ブラック本丸消滅のおしらせ〜呪がスレに初参戦だぞ☆〜
・呪の話 グロ注意
・喰の目覚めの話 グロ注意
・とある328の失敗談 〜永遠に蒼鋠を失った愚者のこと〜
・とある328の奇蹟話
〜襲撃で全ての刀剣を失って、呆然としていたわたしを助けてくれたのは……〜
・蒼鋠の演練での様子
・理の子育て苦労談
・とある政府職員の噂話 〜ブラック職員の豹変〜
・【あなたの】専用スレ【ために】 〜うちの蒼鋠自慢話〜
・乗っ取り対策の蒼鋠はいかが? ちゃんねるネタ
・疑問なんだけど、二本目以降の蒼鋠ってどうしてる? ちゃんねるネタ
・識の話
・武の話 〜復讐するは我にあり〜
・神隠し撲滅隊より、恐怖を込めて
・ブラック本丸引き継いだけど、なんか質問ある? ちゃんねる
・貸し出し系の継続組と新人328の話
・共存狂愛 〜貴方だけがいればいい〜
以下ウィキからの転載
生涯
武蔵塚原試合図(月岡芳年画)
鹿島神宮の神官で大掾氏の一族・鹿島氏の四家老の一人である卜部覚賢(吉川覚賢)の子として常陸国鹿島に生まれる。幼名は朝孝。時期は不明だが後に塚原安幹の養子となる。同時に諱を高幹(たかもと)とした。塚原氏の本姓は平氏で、鹿島氏の分家である。
実父からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を、義父からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学んだ。『関八州古戦録』『卜伝流伝書』によれば、松本政信の奥義「一の太刀」も養父の安幹から伝授されたという(松本から直接学んだという説、卜伝自身が編み出したとする説もある)。やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけた。卜伝の弟子である加藤信俊の孫の手による『卜伝遺訓抄』[1]の後書によると、その戦績は「十七歳にして洛陽清水寺に於て、真剣の仕合をして利を得しより、五畿七道に遊ぶ。真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中(あた)ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に敵を討つ事、一方の手に掛く弐百十二人と云り」と述べられている。よく知られている真剣勝負に川越城下での梶原長門との対決がある。
弟子には唯一相伝が確認される雲林院松軒(弥四郎光秀)と、諸岡一羽や真壁氏幹、斎藤伝鬼房(勝秀)ら一派を編み出した剣豪がいる。また、足利義輝や北畠具教にも剣術を指南したという。また、この両者には奥義である「一の太刀」を伝授したとされている。
上記の通り「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われ、好んで講談の題材とされ、広く知られた。著名な逸話のひとつで勝負事にまつわる訓話としてもよく引き合いに出されるものに、『甲陽軍鑑』に伝わる[要出典]「無手勝流」がある。この中で、卜伝は琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合いになり、相手が卜伝だと知ったその剣士が決闘を挑んでくる。彼はのらりくらりとかわそうとするが、血気にはやる剣士は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃れようとしていると思いこみ、ますます調子に乗って彼を罵倒する。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、剣士と二人で小舟に乗り移る。そのまま卜伝は近傍の小島に船を寄せるのだが、水深が足の立つ程になるやいなや、剣士は船を飛び降り島へ急ごうとする。しかし卜伝はそのままなにくわぬ調子で、櫂を漕いで島から離れてしまう。取り残されたことに気付いた剣士が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は「戦わずして勝つ[2]、これが無手勝流だ」と言って高笑いしながら去ってしまったという。
若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、彼はとっさに囲炉裏の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めたとする逸話があるが(右記の月岡芳年の錦絵などで知られる)、この二剣豪は同時代ではなくこれについては全くのフィクションである。
『鹿島史』によれば卜伝は元亀2年(1571年)2月11日に死去したとされる。83歳没。『天真正伝新当流兵法伝脉』では鹿島沼尾郷田野(現鹿嶋市沼尾)の松岡則方の家で死去としている。墓は須賀村(現鹿嶋市須賀)の梅香寺にあったされるが同寺は焼失し、墓のみが現存している。位牌は近くの長吉寺にある。
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